
2016/08/03 夢但馬周遊バス『たじまわる』(生野銀山正面前停車)運行のご案内

この機会に史跡・生野銀山で夏のひんやり体験をお楽しみください。
『たじまわる』について詳しくはこちらをご覧ください。
たじま旅ネット
http://tajima-tabi.net/tajimawaru/
2016/07/12 坑道内温度は約13℃

坑道入口前から冷気でヒンヤリ!思う存分涼んで頂けます。
真夏のオアシス「史跡・生野銀山」でヒンヤリ体験してみませんか。
2016/06/25 今年もうちわができあがりました

お土産館にて2,000円(税込み)以上お買い上げのお客様にもれなくお配りしております。
暑い夏でも坑道内ではうちわが不要なほどの涼しさを味わっていただけますが、帰宅された後はこのうちわで坑道内の涼しさを思い出していただければと思います。
数に限りがございますので、在庫がなくなり次第キャンペーン終了とさせていただきます。
※7/18 ご好評につきすべての配布が終了いたしました。皆様のご利用に深く感謝いたします。
2016/06/18 シスレー縁のバラ「絆」、一番花は終わりました。しかし・・・

「絆」は四季咲きです。
秋には再び、淡いオレンジ色の花びら約100枚が重なり、フルーティな香りを漂わせてくれるものと思います。
しかし、運がよければ。7月中旬、「四季咲き」の名の通り、一番花よりは小さいですが、二番花を咲かせてくれることでしょう。
写真は6月18日(土)9時撮影
2016/06/10 モリアオガエルに出会えるかも!?

敷地内には兵庫県により絶滅危惧II類に分類されているモリアオガエルが生息しており、その卵の孵化が盛んなのもこの時季です。ひかげつつじの枝などに産卵された泡状の卵からオタマジャクシがポトポトと水路に落ちていきます。
坑道までの道中、運がよければ雨が大好きなモリアオガエルたちに会えるかもしれません。
外が雨でも坑道内は年中13℃の安定した環境です。雨の日のレジャー、行き先にお困りでしたら、当銀山の坑道内を散策なさってはいかがでしょう。
写真は6月8日(水)13時撮影
2016/06/01 フランス産バラ「絆」が見ごろになりました

生野銀山や生野町にお立ち寄り、シスレー縁のバラ「絆」をご鑑賞くださいませ。
写真は生野銀山正門前の「絆」 5月31日(火)9時撮影
2016/05/28 SAVVY7月号に掲載されました

数ある関西の絶景ポイントの中に生野銀山を取り上げていただきました。掲載された写真はまるで水の流れる音や坑内の冷気が伝わってくるような圧倒的な質感があり見る者に感動を与えるとても素晴らしい仕上がりとなっております。他にも圧巻の絶景が満載の「SAVVY」。店頭で見つけられたらご確認してみてはいかがでしょうか。
生野銀山の絶景が皆様のお越しをお待ちしております。
2016/05/18 金香瀬不動尊大護摩大祭のお知らせ

日時 : 平成28年5月29日日曜日 午前10時より
場所 : 史跡・生野銀山 第2駐車場特設会場にて
参加費 : 無料
古来より続く神事『金香瀬不動尊祭典』に合わせ、平成5年より地元の皆様のご協力を頂き『金香瀬不動尊大護摩大祭』を挙行しております。
護摩焚き供養を行い、その煙の立ちのぼり方で今年の運気を占います。また坑道内の不動尊にて多くの皆様にご記入いただいた、願いのこもった護摩木もこの大祭において毎年供養させていただいております。
山伏が吹く「ほらがい」の音と、勇壮な炎と煙の祭典に是非ご来場ください。
写真は2008年5月に撮影
2016/05/18 フランス産バラ「絆」ご存知ですか?開花を迎えます!!

この「絆」が開花を迎えます。
アプリコットピンクからオレンジの花色、フルーティーな香りが特長です。
生野銀山や生野町にお立ち寄り、シスレー縁のバラ「絆」をご鑑賞下さいませ。
<銀の馬車道>は正式名称を「生野銀山寮馬車道」と言い、フランス人技師の指導の下、明治9年に生野銀山〜飾磨津(現姫路港)の間、約49キロを結ぶ馬車道専用道路として作られました。雨などの天候に左右されず、馬車がスムーズに走行できるように、当時としては最先端の技術が用いられ、“日本初の高速産業道路”と言われています。
参考資料 NPO法人いくのライブミュージアム シスレー縁のバラ「絆」
銀の馬車道ネットワーク協議会 銀の馬車道
写真は5月18日(水)9時に撮影
2016/04/28 五代友厚と生野銀山

五代友厚と生野銀山について、「明治以降の生野鉱山史」に下記の通り記載されています。
場内を見学いただくとき、近代化に携わった人々の熱い想いに心を馳せていただくもよし、火薬の爆破で空けられた近代坑道と江戸時代の手掘り坑道を見比べていただくもよし。お読みくださった方がより銀山を楽しむ際の一助となれば幸いです。
【コワニエの雇用】
生野銀山は明治元年我が国最初の官行鉱山となったものの、作業環境の悪化などで極度の不振が続き、休山同様の状態であった。明治政府は、現状の打開のため、薩摩藩が雇用していたフランス人土質家フランソワ・コワニエに着目、薩摩藩と譲り受けを交渉、招聘が正式に決定し、政府の鉱山関係雇入れ外国人の第一号として生野派遣となった。
コワニエ招聘の影で活躍したのは五代友厚であった。
【コワニエ生野派遣の経緯】
鉱山局は当時大阪にあり、コワニエの薩摩藩雇用に尽力した五代が大阪府判事の要職にあったことから、鉱山局と五代との間には緊密な接触があり、更に新政府の参与井上馨の強力な推薦もあり、コワニエ政府雇用の折衝が五代によって急速に進められた。その結果、新政府最初の外国人鉱山技師としての雇用が決定した。
コワニエは、生野銀山の建設計画を立案建議し、採鉱、選鉱、製錬の機械化を進め、近代鉱山としての発展の基礎を完成させました。
また、五代と共にイギリスに派遣され、コワニエと生野入りした朝倉盛明は、鉱山長を務め、生野銀山中興の功績は大きく、朝倉なくしてコワニエなく、コワニエなくして朝倉は存在しないと言われています。
引用文献:「明治以降の生野鉱山史」
写真はフランソワ・コワニエ像とノムラモミジ 2016年4月28日(木)11時撮影
