
当館は、国内産出鉱石標本としては世界的にも貴重な国内最大級の鉱物博物館として知られております。
国内の鉱物学の先駆者・和田維四郎(つなしろう)博士が、明治年間に広く日本各地から集めた鉱物標本、江戸時代中期の愛石家・木内石亭、生野銀山に勤務していた藤原寅勝氏の鉱物コレクションを一堂に集め、常時2,000余点を展示しております。
輝安鉱、水晶、黄玉(トパーズ)など国宝的逸品揃いで、再び入手できない学術上貴重なものばかりです。
| 入場料 | 200円(団体15名以上 100円) |
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| 閲覧時間 | 自由 |
| 営業時間 | 4月~10月:午前9時~午後5時30分 11月:午前9時~午後5時 12月~2月:午前9時30分~午後4時30分 3月:午前9時30分~午後5時 |
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■輝安鉱(きあんこう) 「アンチモニー」の鉱石で日本を代表する標本。産出時には1mに達するものもあった。 |
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■水晶 二つの結晶が84度33分の角度でV字形に結合、日本で多産し、別名「日本式双晶」ともいう。 |
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■自然金 鉱脈から取れる金を砂金と区別して「山金」といい、銀の硫化鉱物の鉱脈沿に産出する。 |
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■赤玉髄(せきぎょくずい) 玉髄には、種々の色や模様をもつものがあるが、当鉱物館収蔵の赤玉髄は非常に珍しく、大きさも例を見ないほど。 |
歴史

和田維四郎(つなしろう)博士は、明治初年、東京開成学校(現東京大学)にて日本で初めて鉱物学を外国人教師から学び、我が国における近代鉱物学を確立。
和田コレクションは、博士が明治8年から30年間にわたって収集したもので、明治年間に我が国で産出した鉱物の大半を網羅し、最初の完全な日本産鉱物標本として国宝的評価と名声を博しています。
中でも、数多く集められた水晶の日本式双晶や輝安鉱(きあんこう)および黄玉の華麗な結晶は、同コレクション中の白眉です。
和田博士は、東大助教授や地質調査所長、鉱山局長などを歴任後、大正9年に逝去。その標本の散逸を惜しんだ三菱合資会社の岩崎小彌太社長が、同コレクションを一括して譲り受けました。その後当地に移管され、現在の三菱ミネラルコレクションの主体を成しています。

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●雲根志(うんこんし)
江戸時代中期の石の研究者である木内石亭(きうちせきてい)は、全国から集めた標本を分類し、それを記載した3編15巻からなる「雲根志」を出版。
この本は実地に中国伝来の岩石学を考証したことにより地学史の上では意義の大きなものでしたが、鉱業面での実用性に結びつかなかったため、石亭は弄石派と呼ばれました。
なお「雲根志」の雲根とは、中国の古語で「雲は石間より生ずる」ということから、石を意味しています。
●石亭標本
石亭標本とは、木内石亭が苦労の末に日本全国から集めた2千余点の奇石や鉱物類の標本で、我が国最古の岩石・鉱物コレクシヨンです。
それらは石亭の死後ことごとく四散し行方不明になりましたが、幸いにも珍品として秘蔵されていた21種のみ和田博士に引き継がれ、和田コレクションとともに当地に移管されました。
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藤原寅勝(とらかつ)コレクションとは、生野鉱山にて大正11年から41年間にわたって地質・測量業務一筋に勤務した藤原寅勝氏より寄贈されたもので、生野鉱山産のものが少ない現在の三菱ミネラルコレクションを補うという大切な役割を果たしています。
生野鉱山は、約70種類にも及ぶ多種多様の鉱石を有する珍しい鉱山として古くから知られ、同コレクションにおいても609点の内、その多くを生野鉱山のものが占めています。生野鉱や桜井鉱など、生野で産出・命名された鉱物は学術的にも貴重であり、専門家やマニアにはとても好評です。




