生野銀山ロゴ
MENU

生野銀山とは・・・

スライドショー1 スライドショー2 スライドショー3 スライドショー4 スライドショー5 スライドショー6

  歴史

戦国英傑、信長・秀吉・家康の直轄地に

室町年間に本格的な採掘が始まり、戦国英傑、信長・秀吉・家康の直轄地に。

生野銀山は大同2年(807年)に銀が出たと伝えられる。室町年間の天文11年(1542年)には但馬守護職・山名祐豊(すけとよ)が銀石を掘り出し、開坑の起源といわれている。永禄10年(1567年)には自然銀を多く含む日本最大の鉱脈(慶寿ひ)が見つかる(銀山旧記には、“銀の出ること土砂のごとし”と記されている)。
その後、織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て、慶長5年(1600年)徳川家康は、但馬金銀山奉行を配置、佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支えてきた。
享保元年(1716年)には「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第八代将軍・吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。
明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となった。明治政府は近代化を推し進めるため、「お雇い外国人第1号」のフランス人技師ジャン・フランソワ・コアニエを鉱山師兼鉱学教師として雇い、コアニエが帰国するまでの10年の間に、製鉱所(精錬所)を建設し、生野に日本の近代化鉱業の模範鉱山・製鉱所の確立をめざした。
明治22年(1889年)には生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。
明治29年(1896年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、昭和48年(1973年)に閉山した。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいる。
昭和49年(1974年)に観光施設として史跡・生野銀山が開業した。
平成19年(2007年)には、銀が発見されてから1200年を迎え、「生野銀山開坑1200年事業」が盛大に執り行なわれた。
平成23年(2011年)には、生野銀山文化ミュージアム(生野鉱物館)を新装オープンした。

ジャン・フランソワ・コアニエ

  概要

施設全体図
生野鉱業所概要図

鉱床

生野附近の地質は、中世代白亜紀の堆積岩類・火成岩類からなり、鉱脈はこれらの割目を充填した熱水性鉱脈で、大小60余条に及んでいる。主要鉱脈は延長2.6km余、開発深度1kmに達している。産出鉱物は、黄銅鉱・閃亜鉛鉱など約70種におよび、種類別に比較的規則正しい累帯配列を示している。

採鉱

採掘法は、サンドスライム充填採掘法、またはずり充填採掘法およびシュリンゲージ採掘法により採掘している。鉱石はスキップおよびケージによる立坑運搬後、5番坑道を電車により太盛坑内破砕場へ運び、破砕してから斜坑ベルトコンベアーで選鉱場に送った。

通気

金香瀬地区深部は30℃前後、湿度90%以上であるので、自然通気と機械通気を併用して通気の改善を図った。

  沿革

806年(大同元年)
 空海真言宗を伝う。
807年(大同2年)
 銀が発見される。
1542年(天文11年)
 銀の本格的採鉱開始。金香瀬(かながせ)興る。
1579年(天正6年)
 織田信長代官を置く。
1583年(天正10年)
 本能寺の変。豊臣秀吉代官を置く。
1601年(慶長5年)
 徳川家康天下をとる。奉行を置く。
1716年(亨保元年)
 奉行を廃し代官を置く。
1868年(明治元年)
 政府直轄となる。仏人技師フランソワ・コアニエを招へいし、機械化に着手。
1874年(明治6年)
 生野・飾磨間。生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)完成
1890年(明治22年)
 皇室財産になる。
1897年(明治29年)
 三菱合資会社に払下げられる。
1913年(大正2年)
 錫製錬所開設。
1970年(昭和45年)
 山はね現象おこる。
1973年(昭和48年)
 坑内生産中止。鉱山部門閉山。株式会社シルバー生野設立。
1974年(昭和49年)
 史跡・生野銀山オープン。鉱山資料館開館。
1975年(昭和50年)
 生野鉱物館開館。
1986年(昭和61年)
 吹屋資料館開館。
1992年(平成4年)
 史跡・生野銀山 リニューアルオープン。
2007年(平成19年)
 国の近代化産業遺産に認定される。
2011年(平成23年)
 生野銀山文化ミュージアム(生野鉱物館)を新装オープン
2014年(平成26年)
 国の重要文化的景観に選定される。

  銀産量

年代 年数 銀産量/トン
天文11年~天和02年 141年 636トン
天和03年~安政04年 175年 309トン
安政05年~慶応03年 10年 5トン
明治02年~明治17年 16年 13トン
明治18年~明治29年 12年 35トン
明治30年~明治43年 14年 79トン
明治44年~昭和47年 62年 646トン
合 計 430年 1,723トン
年代 年数 銀産量/トン 年平均銀産量
明治以前 326年 950トン 2.915トン
明治年代 43年 136トン 3.162トン
大正年代 14年 100トン 7.113トン
昭和年代 47年 537トン 11.421トン
合計年数 430年 1,723トン 4.007トン

* 銀産量の総計は1,723トン、年平均4トンとなる。