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2016/04/28  五代友厚と生野銀山

<font face=Meyrio>五代友厚と生野銀山</font>
NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』で一躍注目を浴びる五代友厚は、生野銀山でもフランス人技師を明治政府に紹介して生野銀山の近代化に貢献したとされています。
五代友厚と生野銀山について、「明治以降の生野鉱山史」に下記の通り記載されています。
場内を見学いただくとき、近代化に携わった人々の熱い想いに心を馳せていただくもよし、火薬の爆破で空けられた近代坑道と江戸時代の手掘り坑道を見比べていただくもよし。お読みくださった方がより銀山を楽しむ際の一助となれば幸いです。

【コワニエの雇用】
生野銀山は明治元年我が国最初の官行鉱山となったものの、作業環境の悪化などで極度の不振が続き、休山同様の状態であった。明治政府は、現状の打開のため、薩摩藩が雇用していたフランス人土質家フランソワ・コワニエに着目、薩摩藩と譲り受けを交渉、招聘が正式に決定し、政府の鉱山関係雇入れ外国人の第一号として生野派遣となった。
コワニエ招聘の影で活躍したのは五代友厚であった。

【コワニエ生野派遣の経緯】
鉱山局は当時大阪にあり、コワニエの薩摩藩雇用に尽力した五代が大阪府判事の要職にあったことから、鉱山局と五代との間には緊密な接触があり、更に新政府の参与井上馨の強力な推薦もあり、コワニエ政府雇用の折衝が五代によって急速に進められた。その結果、新政府最初の外国人鉱山技師としての雇用が決定した。

コワニエは、生野銀山の建設計画を立案建議し、採鉱、選鉱、製錬の機械化を進め、近代鉱山としての発展の基礎を完成させました。

また、五代と共にイギリスに派遣され、コワニエと生野入りした朝倉盛明は、鉱山長を務め、生野銀山中興の功績は大きく、朝倉なくしてコワニエなく、コワニエなくして朝倉は存在しないと言われています。

なお、この五代友厚との生野銀山の関わりは、2016年1月のNHKの番組でも紹介していただきました。
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『パチパチはんのスタッフブログ』2016年01月25日 (月)
「あさが来た」炭坑夫役・中山義紘さんが朝来市をリポート!

引用文献:「明治以降の生野鉱山史」
写真はフランソワ・コワニエ像とノムラモミジ 2016年4月28日(木)11時撮影